よろぐ

ブロゴスフィア!ブロゴスフィア!

【ニューエイジCD紹介004】 Peter Kater – Anthem

www.discogs.com

アーティスト:Peter Kater
タイトル:Anthem 
国:Canada
レーベル:Nebula
発売年:1986

 

GRAMMYも取っているピアニストの4th。生ピアノの音だけが録音されています。

ミニマルな繰り返しはそれなりに多用しつつも(細かい音符の反復が多い)、曲の展開やテンポ変化がきちんとあって、相当ちゃんとしていて聞きごたえがあります。

清冽な感じのジャケットも良いですね。

軽井沢とかのイケてるホテルの採光の良いロビーで流すとよさそう。

 

イージーリスニング度:★★☆

アセンション度:★☆☆

ネイチャー度:★☆☆

その他の特徴:ピアノソロ

ストーリーミング(Spotify):あり

open.spotify.com

ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイドへの掲載:なし

【ニューエイジCD紹介003】Various – Wave AID II

www.discogs.com

アーティスト:Various
タイトル:Wave Aid II 
国:USA
レーベル:The Wave 94.7 KTWV
発売年:不明

 

カリフォルニアのラジオ局がチャリティのためにリリースしたサンプラー(の第二弾)。売り上げはAIDSの研究のために寄付されるとのこと。

われらが喜多郎(収録曲は大河ドラマのオープニングばりに仰々しくてあまりイージーリスニングできない…)、Tangerine Dream、マットビアンコのBasiaなど、割とメジャーどころが収録されている。普通に歌入りの曲も多く総じてニューエイジ感は薄い。

フランク・ザッパ門下のベーシスト、Patrick O'Hearnのフレットレスベースが良い。

 

イージーリスニング度:★☆☆

アセンション度:☆☆☆

ネイチャー度:☆☆☆

その他の特徴:

ストーリーミング(Spotify):なし

ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイドへの掲載:なし

【ニューエイジCD紹介002】Various – Soundings Tapestry

www.discogs.com

アーティスト:Various
タイトル:Soundings Tapestry
国:USA
レーベル:Soundings Of The Planet
発売年:1986

 

Soundings Of The Planetレーベルのコンピレーション。

レーベルのco-founderであるDean Evensonのフルートがどの曲にもメインでフィーチャーされている。時折鳥の声などの自然音も挿入され、総じて牧歌的。森を感じる。

 

イージーリスニング度:★★☆

アセンション度:★☆☆

ネイチャー度:★★☆

その他の特徴:フルート、チェロ、ハープ

ストーリーミング(Spotify):あり

open.spotify.com

ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイドへの掲載:なし

 

 

 

【ニューエイジCD紹介001】Ron Cooley - Rainbows

www.discogs.com

アーティスト:RON COOLEY 
タイトル:Rainbows
国:USA
レーベル:American Gramaphone
発売年:1982


USを代表するニューエイジ・グループMANNHEIM STEAMROLLERのギタリスト、Ron Cooleyのソロ作。

軽快なフュージョンと、ムードミュージック的なシンセをフィーチャーしたニューエイジ/イージーリスニング風の曲が半々といった趣き。

 

イージーリスニング度:★★☆

アセンション度:★☆☆

ネイチャー度:☆☆☆

その他の特徴:フュージョン

ストーリーミング(Spotify):なし

ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイドへの掲載:なし

 

【展覧会】国立近代美術館 眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで

国立近代美術館 眠り展:アートと生きること ゴヤルーベンスから塩田千春まで
May be an image of outdoors
 
オディロン・ルドンの作品何点かと、アンリ・ミショーのメスカリン素描(幻覚剤をキメて描かれたもの)が展示されているのを目当てに見に行った。
ゴヤはすべて版画。
 
ルドンの『ゴヤ讃』が期待どおり素敵だったが、他に写真家楢橋朝子の作品、水面スレスレからの風景を捉えたシリーズが、とてもインパクトがあり素晴らしかった。
例えば山中湖、如何にも観光地然として見えるであろうはずの湖岸に浮かぶアヒルボートが、水面から捉えられることで「向こう側の眺め」として完全に異化されたものとしてたち現れている。そのことに驚くと共に、そのような異質な眺めを生じさせる水面の側が、決して特別なものではなく、何処にでもあり何時でも入場可能なものであることにも改めて気付かされる。
 
考えてみれば、極めて身近にありながら非日常や死へのインタフェースにもなっている、という意味で、眠りも確かにそのようなものであるに違いない。
 
表紙のタイポグラフィが良かったのもあり図録も購入。

f:id:y055ie:20210211084411p:plain

眠り展_図録

【書評】中世賤民の宇宙 ──ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)/阿部謹也 (著)

2020年に読んだ本で面白かったもの(その3)
 
中世賤民の宇宙 ──ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)/阿部謹也 (著) 

 『ハーメルンの笛吹き男』のスマッシュヒットも記憶に新しい、歴史学者阿部謹也先生の著作。

 
中世に至るまでのヨーロッパの宇宙観について、
・互酬関係=モノの贈与によって人と人─或いは人と神々や精霊─とが結ばれた関係
・均質ではなく円環的な時間(死者は彼岸に移行するにすぎず、戻ってくることもある)
・二つの宇宙─柵で区切られた町や村の内部、辛うじて人間が統御可能な小宇宙と、その外側の未知と恐怖に満ちた大宇宙
このような特質をもつものであったとした上で、
これらが、十一、二世紀以降、キリスト教の浸透に伴い、如何にして次のような宇宙観に移行していったかを辿る。
・神を強力な媒体とした新たな人と人との関係
・アダムとイブから最後の審判まで流れる一回性の直線的な時間
神の摂理として定められた一つの宇宙
 
その中で、タイトルにある「賤民」について、元々小宇宙と大宇宙の狭間で、小宇宙の枠をはみ出して大宇宙の要素─水、火、風、性など─に関わる職業に携わっていた人々が、社会がキリスト教化=一元化されていく中で如何に賤視されるに至ったかが考察されている。
 
不衛生極まりなさそうだし、食事もおいしくないだろうしで、中世ヨーロッパにタイムスリップしたいとはあまり思わないが、
極めて強固に均質で機械的な時間の中に埋め込まれている現代の私たちが、そうではない時間の在り方に思いを馳せることにはきっと意味があると思うし、エビデンスを示しながら丁寧に語ることで、そうした時間のリアリティに触れさせてくれるこのような本があることは、とてもありがたいことだと思う。
 
本邦の中世における、同種のテーマを扱ったものとして、
中世の音・近世の音 鐘の音の結ぶ世界 (講談社学術文庫)/笹本 正治
を挙げておきたい。
古来、音によってあの世とこの世を繋ぐものであり、神との契約のために鳴らされていた鐘が、戦国時代以降は人間同士をつなぐ音へと変遷したことが述べられている。
 

【書評】ゼノン 4つの逆理 アキレスはなぜ亀に追いつけないか (講談社学術文庫) /山川偉也

2020年に読んだ本で面白かったもの(その2)
 
ゼノン 4つの逆理 アキレスはなぜ亀に追いつけないか (講談社学術文庫) /山川偉也
アキレスと亀」で特に知られる所謂「ゼノンのパラドックス」について、詭弁や知的遊戯の類などでは決してなく、我々の依って立つ近代以降の知性の基盤に対して、如何に深甚な問いを投げかけているものであるかを、四百頁近くの紙幅を割いて追求した労作。
 
まずはゼノンの唱えた四つの逆理を詳述した後(どういうものであるかは後述する※)、それらが本当は何を意図して唱えられたものであるかを明らかにしていく。
曰く、ゼノンの逆理はすべて、師であるパルメニデスの論敵であったピタゴラス派の<多>の理論を否定するためのものであった。〈多〉とは(無限に)分割可能な「点」や「時点」によって構成される「距離」や「時間」のことであり、ゼノンは「アキレスは亀に追いつけない」ことを言いたかったのではなく、「存在するものが〈多〉であるならば、アキレスは亀に追いつけない、しかるに、存在するものは〈多〉ではない」と言いたかったのである。
 
例えば運動というものについて、「t0時点にはp0地点にいた」「t1時点にはp1地点にいた」…これをいくら(たとえ無限に)細かくしていったとしても、運動そのものを捉えたことにはならないのではないだろうか。
しかし、ピタゴラス派から近代(デカルト心身二元論/コギト、分析的知性の象徴たる「パスカルの眼」)、現代に至るまで、科学的・分析的知性というものはこのこと(分割可能な空間とそこにマッピングされた時点/時−間)を前提している。
 
斯様な知性は実在の真の姿ではなくその「影」を捉えているに過ぎない─このことを指摘すべくゼノンの立てた反論は、現代フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの科学批判や、「持続の相の元に」真に実在を認識しようとした彼の哲学と位相を同じくするものである。
ベルクソンは『物質と記憶』の中で、ゼノンの逆理を引いて「等質で分割可能な空間と、時間の空間化を前提している」と批判するが、これは不当な批判であって、ゼノンは寧ろベルクソンと同じ立場に立って、ピタゴラス派を論難していたに違いないのである!
 
といった、紀元前から現代までを股にかける刺激的な論考が展開されており、著者の時に熱の入りすぎた語り口にも乗せられて、大変面白く読んだが、私の所感を述べると、
・科学的な成果=真理の発見と単純に考えてしまいがちだが、それはやや素朴に過ぎる見方かもしれない
・紀元前の哲学者は(も)凄い。深甚なことを考え抜いている。「存在」や「時間」について、現代のわれわれの理解は何ほど進歩したといえるのか
といったところです。
 
ーー
※この本はもともと放送大学で受講した科目「西洋哲学の起源」の中間課題のために読んだもので、この本を大いに参考にしてゼノンの逆理をまとめて提出したのが下記の文章になります。
ーー
エレアのゼノンの運動否定論について要点を述べる。
ゼノンがとなえたとされる運動否定論は4つの議論からなる。
但し、これらの議論について、ゼノンが直接書いたものは残っておらず、(彼の言説には否定的であった)アリストテレスの『自然学』に報告の形で現存するものである。
以下にそれぞれの議論の概略を記す。
1.「二分割」
「動くものは終点に達する前にその半分の地点に達しなければならないので動かない」とするものである。
「半分の地点に達し」について、全行程の半分の地点(1/2)を想定し、さらにその半分ずつ(1/4、1/8…)への到達を想定する無限後退型の解釈(この場合は出発すらできないことになる)と、全行程の半分の地点への到達から、さらに残りの距離の半分の地点(3/4,7/8…)への到達を想定する無限前進型の解釈が存在する。
2.「アキレス」
後に「アキレスと亀」の呼び名で特に知られるようになった議論で、
「走ることの最も遅いものですら最も速い者によって追いつかれないであろう、何故なら追いかける者は、まず最初に、逃げる者が出発したその地点に到達しなければならず、したがって必然的に、逃げる者がたとえ最も遅いものであっても、つねになにほどかは先んじていなければならない」とするものである。
t0 時点で A地点 にいた亀を追いかけるアキレスが、t1 時点でAに到達したとき、亀はA地点よりいくらかは進んだB地点におり、次にt2時点でBにアキレスが到達したときには亀はC地点におり、と、無限に距離は縮まるかもしれないが決して追いつくことはない、という議論である。
3.「矢」
「すべてのものはつねに静止しているか動いているかであり、自身に等しいものに即してあるときは何物も動くことがない。しかるに動くものはつねに、今、等しいものに即してあるとするならば、動く矢は不動である」とするもので、あらゆる動きを封じるものである。
4.「競技場」
「競技場において等しい物体列の傍らを、たがいに反対方向に等速度で運動する物体において、半分の時間が二倍に等しくなる」という議論。元テクスト自体が不安定で解釈の分かれるものである。
これらの議論について、二千五百年以上の永きに渡って種々の数学的、アルゴリズム的な説明や反論が試みられて来たが、哲学的な側面として忘れてはならないことは、ゼノンはこれらの議論を、師であるパルメニデスの称えた、不生不滅を旨とする存在論「『有る』は一つである」を擁護するために、「多」の理論、「運動」理論への反論として行なった点であろう。
理論やロゴスによる抽象的な議論を通じて、時には経験的な常識を疑い(思い込みを抉りだし)、それを越えて存在について問い直す、根源的な問いかけの(或いは終わりなき)はじまりの一つとして、今日に至ってもなお意義を持つものであると考えられる。