【幻想文学的】お盆に読みたい小説5選
遅きに失した感もありつつ。
お盆らしく、此岸彼岸の境の曖昧さを感じられるような小説を選んでみました。
日本の小説縛りです。
久生十蘭「生霊」
小説の魔術師。口述筆記による切れ味鋭い語りの魅力。
旅の画家が、盆踊り見物に訪れた村で女と出会い、亡き兄の精霊を演じるように頼まれる…。
非現実的な事は何ひとつ起きないにも関わらず、読み進むに連れて彼岸に持っていかれる感じが実に味わい深い逸品です。
久生十蘭「黄泉から」
十蘭のお盆モノもう一品。
終戦後のお盆。やり手の美術商、光太郎は、婦人軍属としてニューギニアで亡くなった従妹のおけいの最期を知る人物の訪問を受ける…。
こちらも取り立てて怪異が描かれているわけではないですが、幽明定かならぬ切なさが満ちてくる傑作です。
藤枝静男「一家団欒」
私小説を究めんとする余り幻想文学に行き着いてしまった異能の作家。
死んだ主人公がバスに乗って墓場を訪れ、彼岸の家族と再会する話しで、不穏さもありつつ、温かさと懐かしさにホロリとします。
高田渡が歌っていた「ブラザー軒」(詩は菅原克己)を思い出したりもします。
赤江瀑「砂の眠り」
耽美、ダンディズム、ボーイズラブの作家。中間小説の最高峰という感じもあります。
夏休み。中学教師が、過去に死体を埋めた砂浜を訪れてみると、自分が埋めたものの他に白骨が増えている…。
類型的な悪夢として「過去に人を殺してどこかに埋めたことを思い出す」みたいなのがありますが、それを下敷きにしたような、異様な魅力のある話しです。
竹西寛子「管絃祭」
事実として戦争文学であり原爆小説ですが、そのような枠を越えて普遍性を獲得した傑作だと思います。
殊更悲惨を訴えるのではなく、状況の中で人が生きて行くこと、また生きて行かねばならないことが、終始淡々と書かれていて、それだけにクライマックスの厳島での水上の祭りの場面が、息をのむほど美しく立ち現れてきます。