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試展-白州模写 「アートキャンプ白州」とは何だったのか@市原湖畔美術館

昨年末に訪れた、
市原湖畔美術館:試展-白州模写 「アートキャンプ白州」とは何だったのか
なかなか実験的な展示で面白かった。
 
舞踏家 田中泯を発起人として山梨県白州で嘗て開催されていた、舞踊・演劇・音楽・美術・建築などの垣根を超えた伝説的な総合芸術祭をトリビュートする試み。
名和晃平榎倉康二らの彫刻・絵画作品の展示と溶け合うように、白州を撮った写真や記録映像が多数掲示・投影されており、常に複数の映像や音声が見え・聞こえてくる祝祭的な展示空間が作られていて、(必然的にコンセプチュアルな形で)再現された芸術祭のエネルギーを感じることができたように思う。
特にインパクトがあったのが、地下展示室の原口典之「untitled(オイルプール)」で、廃油を湛えた漆黒のプール=闇の鏡面に、吹き抜けとなった上階の展示室の映像が映り込むのに、何か空恐ろしい美しさを感じて見とれてしまった。
 
サブカルの音楽好きとしては、情報ラウンジに展示されていたポスターやパンフレットで出演者を確認するのも楽しく、常連であった巻上公一のほかに、大友良英三上寛灰野敬二EPOデレク・ベイリーセシル・テイラーなどの豪華な面子が参加していたことが分かった。
文学方面では中上健次や李良枝も参加していたようである。
 
写真3枚目は95年のポスターで、マッシブアタックの「Mezzanine」のジャケットっぽいなと思って撮ったもの(Mezzanineの発売は98年なので特段関係はないと思う)。
 
美術館公式サイト:
 

 

ゲルハルト・リヒター展

 

No photo description available.

気がつけばもう一月ほど前のことになるが、ゲルハルト・リヒター展@東京都近代美術館(竹橋)を訪れた。


アウシュヴィッツの収容所をモチーフとした「ビルケナウ」連作の展示が特に印象的で、「スキージ」と呼ばれる自作のヘラを用いて、塗り重ねることと削り取ることを一体化し、描くことの不確実性のもとに制作された画面は、何か表層・皮膚を剥ぎ取られた、むき出しの現実を見る思いがして切実であった。
また、向かい側の壁面には、それらの絵画を写真で撮ったバージョンが展示されており、素材の凹凸を平面化した画面には、寧ろ整然と見通しが良くなった面も感じられて、「記憶の歴史化」といったことを思わせるもので興味深かった。

 

余談として、サブカル野郎的には、リヒターの作品で真っ先に思い浮かぶのは、ソニック・ユース「デイドリーム・ネイション」のアルバムジャケットに使われているロウソクの絵であるが、本展覧会にはそのロウソクの絵の展示はなくて残念だった。
数年前にソウルのサムソン美術館 Leeumで(ジャケットに使われた作品そのものではなかったが)連作の一枚を見て感動した覚えがある
(さらなる余談としては「デイドリーム〜」は、世間的にはソニック・ユースのキャリアにおける最高傑作とされているが、私はそこまで好きではなかったりする。その後メジャーに移籍してからの「グー」「ダーティ」「ウォッシング・マシーン」あたりは全部駄作だと思っているので、そこに繋がる安直なインディ・ポップ的な路線がいただけない。「ア・サウザンド・リーヴス」以降はまた面白くなるのだが。オルタナティブの精神が結晶化した「バッド・ムーン・ライジング」こそが最高傑作だと思っている)

 

Daydream Nation by Sonic Youth

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Bad Moon Rising

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ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策

アーティゾン美術館
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄鈴木理策


モーリス・メルロ=ポンティの「知覚の哲学 ラジオ講演1948年」(ちくま学芸文庫)を読み終えて、セザンヌの絵を見たい気持ちが高まっていたので訪れた。
同書はメルロの唱える「知覚の哲学」のエッセンスが語られたラジオ講演をまとめたもので、訳者により本文(講演パート)の幾倍もに及ぶ注釈が付けられており、ありがたい。
(正直これをラジオで聞いても全然わからんと思うがフランスの文化レベルが凄いのか)。


そこで語られている知覚の哲学を強引に要約すると、
身体と峻別された純粋な理性(取り分けデカルトのコギト)や、科学の方法に顕著な「超越的な観察者」といったものの措定による知覚論・認識論を批判し、〈世界内属存在〉である私たちの身体性を起点として、常に他者を含む環境との関係・コミュニケーションの中で知覚は構成される(そしてそれ=知覚は、自己がこの世界に帰属する存在様態でもある)とする、運動的な知覚論・認識論を提示するものである。
そこから、
・知覚はすでにして表現であり、芸術は表現の表現である。
・表現という機能と表現される内容は区別できない。
といったテーゼが示されるのだが(※)、メルロの斯様な知覚論における、謂わば特権的な体現者として、セザンヌの絵画表現が取り上げられている。
セザンヌが如何にして伝統的な絵画技法を超克せんと試みたか、最も顕著な点として挙げられているのは、デッサン・輪郭と色彩の区別をしないことである。対象の輪郭は「色彩の転調」であり、『色彩を塗るにつれて、デッサンも進む』というのだ。
また、輪郭に関わる問題として、遠近法の拒否がある。
無限に遠い消失点を仮定してそこから眺めた慣習的で公約数的なヴィジョンを描くのではなく、『自分の目の前で風景が誕生するまさにそのありさまを新規に捉え、表現しようと望んだ』結果としての、「表現としての知覚の表現」が目指されているのである。


※因みに話しは言語論にも及んでおり、ソシュール言語学における記号表現(シニフィアン)→記号内容(シニフィエ)の二重構造も否定した上で、「言葉は意味を体現する身体のしぐさ」だと語られている。
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さて肝心の展覧会、
セザンヌの絵画の展示は数点であったが、上述のようなことを前提として見ると、彼の画家の目指したことがよく感得されるような気がして感慨深いものがあった。
またモネの睡蓮も展示されており、水の三層のレイヤ─水面に映る映像と水面そのものと水底─を色彩を駆使して統合したとされる画面に、モネ流の見ること=知覚の実践を見る思いがした。


本題である写真家二人の作品も素晴らしく、
柴田敏雄の、地方のインフラ(橋やダム、護岸ブロックなど)をタブローとして極めて構成的にソリッドに切り取った画面や、鈴木理策の、フォーカスを浅く取ることで「見ている現在」とその先の視線の時間を立ち上がらせる画面の双方に、夢中で見入ってしまった。
特に鈴木が、セザンヌについて
『描く行為と見ることを直に接続しようとした。』
『間断なく生起する現在を誠実に画布に表すこと』を試みた
と述べていることは、上に挙げたメルロの問題意識と重なる部分が大きいと思う。

 

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西村賢太氏の訃報に接して(続)

西村賢太の訃報のことで、氏に先立つこと七年前に物故された車谷長吉のことも思い起こされた。


ともに平成の世に私小説のあり方を問うた異形の作家であったわけだが、一方で両者の作風はかなり異なってもいると思う。
ある意味でド直球に破滅型私小説に殉じた西村に比べると(別にこれは脚色・虚飾がないと言っているわけではなく表現の傾向の話として)、車谷にはナイーブな文学青年としての苦悩が見られるのではないだろうか。
どこまでも生な表現に降りていこうとはするものの、詩的なものへの憧憬やインテリ臭を拭い去れないことへの葛藤は、特に、実家に出戻った自身を叱責する母親の口を借りて痛切なまでに自己批判した短編『抜髪』において、作品として昇華されている。(が、西村にとっては、或いはこれも文学臭くて洒落臭いものなのかもしれない)。
自らを指して呼んでいた「反時代的毒虫」なる通り名も、思えば少し格好良すぎるような気もする。
しかしそのようなある種キャッチーな素養があったからこそ、正に直木賞に相応しい、面白過ぎるほどに面白い畢生の傑作『赤目四十八瀧心中未遂』が生まれたのもまた確かであろう。


どちらが良いかなどは全くどうでもよくて、兎も角表現の豊かなバリエーションが喪われるのは悲しいですねと言いたい。


何をおいてもまずは『赤目四十八瀧心中未遂』を読むべしと思うが、昨年中公文庫から傑作選『漂流物・武蔵丸』が出たのでそちらもお勧めです。

 

 

 

 

May be an image of book

西村賢太氏の訃報に接して

もう先月の話になってしまうが、西村賢太氏の訃報に接して驚いた。
文庫化されたものを後追いで読んでいる軟弱ないち読者に過ぎないが、ともあれ自分が追っている数少ない存命の作家だったこともあり、悲しいし、まだ早すぎるだろうとも思う。
師と仰ぐ藤澤清造を始めとする明治、大正期の私小説作家の文体を、懐古趣味などではなく生(なま)の表現として現代に問い直した、稀有の作家であった
(ことが私小説であることを鑑みるに、文体・表現を成立せしめる前提にはやはり本人の生き様というものが重みを持っていて、兎角無頼な物事が排斥されがちな当節において、その点でも稀有なものがあったと思う)。
謹んでご冥福をお祈りする。


これから読まれる方には下記の2冊をお勧めします。
・「どうで死ぬ身の一踊り」

藤澤清造もの、秋恵もの、全てのエッセンスが詰まっている。

 

・「暗渠の宿」

特に集中「けがれなき酒のへど」

 

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ベストバイ2021

今週のお題「買ってよかった2021」

 

去年買ってよかったものです。ふだんはどこに行っても(というか家にいても)本ばかり買っているのですが、そちらはまた別の機会にということで、本以外をピックアップします。

Tivoli Audio PAL BT

モノラルのラジオです。同じTivoli AudioのSongBookを愛用していたのですが、アンテナが折れてしまったため買い換えました。

SongBookと比べて良い点は、バッテリー充電式になったことで、ACアダプタや乾電池が不要なので携帯性が高まっています。

ラジオの受信感度はとても良く、音質も、柔らかくかつ低音も自然に効いていて、十分に良いものだと思います。

Bluetoothスピーカーとしても使えますが、私の手元のスマホと同期すると何故かノイズが入ってしまうのでその用途ではあまり使っていません

(もともとキッチンでラジオを聞くために買ったのであまり気にしていないです)。

ちなみによく聞くラジオ番組は、

ピーター・バラカンの「BARAKAN BEAT」
滝川クリステルの「サウージ・サウダージ
ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」

です。

 

Wpc. IZA (イーザ)の晴雨兼用傘

wpc-iza.jp

男も日傘を差しましょう - よろぐ

この記事の時に買った日傘がボロくなって来たので買い換えたものです。

卍LINE”名義でレゲエシンガーとしても活躍されている窪塚洋介氏が広告に起用されていたので迷わずに買いました。

夏はただでさえ暑い上に、最近ではマスクもしないといけないので、男もというか人類みな日傘を差した方がいいと思います。

善光寺落雁

www.kanseido-shop.com

リモートワークのお伴に定期的に発注している落雁です。

落雁というとお彼岸のお供えのイメージがあるかと思いますが、この善光寺落雁

赤えんどう豆を原料に作られていて、とても香ばしさがあり、程よい甘さも相俟って、落雁の概念を覆す美味しさがあります。

 

シャリキンパウチ

 

冷凍庫で凍らせる用の焼酎です。ホッピーやバイスサワー、サンガリアのサワーなどの割り材を買っておけば、いつでも手軽に一杯やれます。氷を入れなくてもいいので薄まらなくてよいです。

amazonレビューには「25度のものも出してほしい」との意見が見られ、酒飲みとして気持ちは分かりますが、これ以上度数を上げると家庭用の冷凍庫では凍らなくなってしまうのではと思います。

 

【ニューエイジCD紹介014】Various – Narada Lotus Artists – Sampler #2

 

www.discogs.com

 

アーティスト:Various
タイトル: Narada Lotus Artists – Sampler #2
国:US
レーベル:Narada Lotus

発売年:1986

 

USのニューエイジレーベル Naradaのアコースティック音楽向けのサブレーベルであるNarada Lotusのサンプラー
全編オーガニックなインストで、カフェでかかってても違和感のない感じでかなり良いです。
 

イージーリスニング度:★★☆

アセンション度:☆☆☆

ネイチャー度:★☆☆

その他の特徴:

ストーリーミング(Spotify):あり

open.spotify.com

ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイドへの掲載:なし