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読書メモ:ヤスパース『哲学入門』 (&友川カズキ氏のライブレポ)

4月にヤスパース『哲学入門』のオンライン講義を週1で受けていて、延べ10時間以上話を聞いたのに冒頭の50pぐらいまでしか進まなくてヤバかったが、哲学書をガチで読み出すと、「本を読み終わる」という事の意味が大分変わって来て、その時の自分が読み取って受け取れるものをちょっとだけ受け取るにすぎないよね、と思うようになっている。

ヤスパースの言っているであろうことをまとめると、
・真に実存的な自己であるためには、主観と客観(対象)が分割される以前の存在そのもの=〈包括者〉=〈超越者〉に向き合う必要がある。
・人間の悟性/理性では〈超越者〉の真理を捉えることはできず、暗号として受け取り解読を試みることしかできない。
・またそれ(解読)は、「万人にとって普遍的な真理を明らかにする」という類のものではなく、個々の人間が〈超越者〉との実存的な関わりの中でそれぞれの答えを希求していくしかないものである。
・人間であることは人間となることである。
みたいな感じだと思われ、
ニーチェ(「神は死んだ」「永劫回帰」)やサルトル(「実存は本質に先立つ」)のようなカッコいいことを言っている実存主義者たちに比べると地味だけどその分説得力あるよなとか思ったりしている。
「人間の理性によって普遍的な真理を詳らかにできる」という考えは、詰まる所〈ドクサ〉(思い込み、謬見)に過ぎず、それこそが近代の病理なのかもしれないけど、本当にそうなのかは極限まで粘って考えてみるべきところでもあるだろう。

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実存と言えば、先月小岩のライブハウスに友川カズキが来たので見に行ったのだがなかなかスゴかった。

(友川氏は情念フォーク界のリヴィングレジェンドで、世間的には紅白でも歌われたちあきなおみ『夜へ急ぐ人』の作詞作曲で最も知られているはず)

 

当人が音楽よりよほど入れ込んでいると公言して憚らない競輪のことを歌った『夢のラップもういっちょ』という曲があるのだが、それを歌う前に「今日は(競輪で)勝ったからあまり迫力ないと思います」と言ってから始めて、めちゃくちゃ感動的だったものの、確かに最後の台詞というか叫びの部分はやや気の張り切っていない感じを受けてしまったのである。

(まぁ先にそう言われちゃってるのもあるかもしれないが)。

 

一方に作品(対象)としての歌・音楽があってそれの良し悪しがあり、一方に演奏する人がいて調子の良し悪しがある、みたいなありきたりな捉え方では駄目で、端的に演奏者と作品は未分離であり、友川氏の、世界(それは競輪場の宇宙かもしれない)との実存的な交わりから生まれる叫びこそが束の間の作品としていま・ここに現出する、ということなのだと思う。

 

またこれは余談だが、

ライブの冒頭で、友川氏の前に出番だった山本久土のギター演奏をしきりに褒めた上で「自分はライブでしかギターを弾かないしチューニングもできないのでいつも共演者にやってもらっている」と話した後「私のギターのチューニングをしてくれたミュージシャンは、みんな死にました」と言っていて、さすがに笑ってしまった。

(ちなみにその後一人で歌っている間はチューニングは本当に一度もやってなくて、後半に山本氏が出てきて二人で演奏する時に山本氏にやってもらっていた)。

 

 


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